漫画で読む「怪談」

先日、偶然入手したのが

マンガ「日本の古典」シリーズの

「怪談」つのだじろう 氏 作 

である。

平成7(1995)年 中央公論社 発行。














恐怖漫画の第一人者が描いた

「怪談」。

なんと理想的な組み合わせだろう。


自分は、実に久しぶりに、漫画、

それもハードカバーを手にして、

じっくり読んだ。

細かいところまで眺めるから、

(それも家事等で中断するから)

読了まで2日以上かかった。


初めて漫画で読んだ「怪談」は、

小説で読んだ時の恐怖が、

さらに増幅された気がした。


冒頭の「雪女」はこれほど怖い、

悲しい内容だったか。










耳なし芳一も然り、である。

怖いが、どこか、悲しい。














それにしても、作者の方々の絵の、

なんと力強いことか。


この迫力はどこから来るのか。

やはりそれは、作者の方々が、

実際に紙に描いているからではないか。


アナログに近づいてきたとはいえ、

デジタルではまだ表現し得ない

線の太さ・細さ、微妙な強弱。


手を抜くことなく細かく描写された背景。

想像し難い苦労と集中力を注ぎ、

途方もない時間を費やしたのだろう。


女性が涙を浮かべる絵を見ただけで、

気の毒に・・・と悲しくなってしまう。

絵が持つ力強さだけではない。

絵が「生きている」のである。


そうして圧倒される内に気づいた。

そうだった、

漫画とはこういうものだった!


昨今の漫画家の方々が、

どういう描き方をしているのか、

自分は正直言うとよくわかっていない。


確かなのは、数十年前と異なり、

今は便利なツールがある。

何度も描きなおしたり、紙を無駄にしたり、

「失敗や間違いが許されない」

ような、作者が苦労した時代とは違う。


参考にしたい写真(画像)も

世間にはあふれているし、

一瞬で探し出すことができる。


長時間かけてかけて描かれた背景も、

今では一瞬でトレースして、

素晴らしい絵が完成する。


あとがきには、脱稿に10ヶ月もかかった、

と記載があった。

今時のプロフェッショナルが聞いたら

呆れて驚くだろう。


本の作者はつのだ じろう 氏、となっているが

アシスタント2名の方々の作品もある。

こちらも素晴らしい

(同様に苦労されたであろう)

絵だ。


そういう作者の方々の多大な苦労の跡も、

「怪談」の、ジワ~と怖い雰囲気を

増長している。


さらに、

パソコンやスマホなど媒体経由ではなく

印刷された紙を触る指先から、

またジワ~と恐怖が伝わってくる。


たかが漫画、

と馬鹿にする方々を含め、

老若男女、多くの方々に

お勧めしたい本である。


なお、マンガ「日本の古典」シリーズは、

つのだじろう 氏だけではなく、

他にも大御所の作品だらけである。

古書店等で、尊敬する漫画家の作品を

探すのも楽しいかもしれない。














これは単なるマンガシリーズには終わらず、

将来再び「日本の古典」として

未来の人々に影響を与えるかもしれない。

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