生前の父の思い出話の中でも
特に印象的だった(ブッ飛んだ)のは
同級生の色白男子のことだ。
彼は「◯◯くーん♡」と父の名を呼びながら
後を追ってきたり、
父が話しかけると真っ赤になったそうだ。
どの時代にもそういう人々がいたのだと
感心した以上に、
なにより暴れん坊の父や
ゴリゴリの九州人たちがその彼を
「かわいそう」と戸惑いながらも
受け入れていたのはちょっと驚いた。
戦時中に東京から九州に疎開した人からは
同級生だけでなく学校の先生からも
いじめや差別を受けたと聞いていたので、
排他的気質が強いと思い込んでいた。
自分は会ったことがないその男子が
平和に天寿を全うしていたらそれで良いと
考えている。
時代は変わり、そういうことがだいぶ
当たり前になってきた
(というより表に出てきた)。
ただ、欧米のように
アルファベットやカタカナで
強引に押しつけてくるのは困惑する。
誰か偉い方々からしつこく指導されたり、
プロパガンダで刷り込まれるずっと前から、
(もう数百年も昔から)
「しかたないこと」として
多くの人々は無言で受け入れてきたのだ。
ちなみに、なんでもとにかく「受け入れる」
のは神道の影響と聞いたことがある。
ただ、「押しつけられる」のは自分以外にも
苦手とする方々は多いかもしれない。
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