NHKという十字架

最近、NHKを見ていると苦しい。
つらい。

テレビをお持ちでない方、
テレビがあっても見ない方には
何のことか理解できないだろう。

今どきのテレビのニュースって
こんなかんじ、と知っていただくために
クドクド書き残しておくことにする。

【目次】
1. また間違った!
2. もうそういうのいいから!
3. これならちょっとはガマンできそう?
4. アンテナを外せば全ては解決する

1. また間違った!


6時に起床→ラジオ体操、ゴミ出しの後は、
食事をしながら朝の7時のニュースを見る。
そこでほぼ毎朝、「またやってら」
と感じる瞬間がある。

原稿を読み間違える、
つっかえる、
同じところを繰り返し読む、
字幕が間違っている、
内容と違う画面になる、

そして数分~数十分後に、
それらの間違いに対する
「お詫び」「訂正」が続く。

なんでこんなテキトーな仕事に
朝から付き合わされるのか。

テレビを消せばいいのだが、
受信料を払っている立場だから
見てモトを取るしかない(取れるのか?)し、
朝食中ではつい、
立ち上がらずに見てしまう。

数日前は、何の個数かは覚えていないが、
9,200個を9,200万個、と読み間違えて
「お詫びして訂正」していた。
9,200万個、と報道した時点で
チャンネルを変えたりテレビを消した方々は、
ずっと9,200万個と信じるだろう。

「後でちゃんと訂正しました」とはいえ、
しっかりデタラメを伝えたのは間違いない。

そんなことがほぼ毎日発生する。

あんたらプロじゃないの??
ガッコの放送委員会と違うんだぞ?
と、モグモグ食べながら、
黙々と心の中でツッコむ。

人間だから間違える、という
許容範囲はとっくに超えている。

では民放ではどうなのか。
先日はTBSのニュースを
たまたま見たところ、
女性アナウンサーが

「約束をはんこにした」

と言ったので箸が止まった。

反故 ×はんこ ◯ほご

後で訂正していたけどつらくて消した。
民放でもそんなものなのだ。

アナウンサーが読み間違えるということは、
魚屋が鯵と鯖を間違えるくらい
重大な事故ではないのか。

しかし、一庶民のこういう不満を
放送局各社が知ったところで、
「日本人めんどくせえな」
程度だろう。

苦情の電話をかけたところで、
下請け業者が相槌を打つだけだ。
今さら、いい大人に向かって、
ちゃんとやれ!と指摘するのも情けない。
テレビを見せてやっていると自負する
ギョーカイの人々が、
一般人の言うことを素直に聞くとも思えない。


2. もうそういうのいいから!


朝のニュースがひと段落すると、
今度は、個人的には全く興味ない、
海外のニュース、芸能人や
映画などのエンタメを
無理やり押し付けられる。

「どうだ、人文系はすごいだろ!」
という主張は、
興味ない人々にとっては、
申し訳ないが、本当にどうでもいい。

逆に、理数系の方々に冷たいように見える。
この国を動かしている、技術者や
サラリーマンの立場はどうなる。
サラメシや魔改造で十分ではない。

かつて、海外のニュースや情報は、
衛星放送で見ればよかった。
そこでしか見られない、という
セレブで貴重な雰囲気があった。

しかし今の地上波は、
国内の交通事故の情報より、
ウクライナや中東情勢だ。

台風や災害のニュースが大半を占めた時は
不謹慎ながらホッとする。
そして列島ニュースの安心感。
基本的には、身内や国内の方々の方が
心配だ。
同じ国の方々が、災害という
現実に強く立ち向かう。
それを見て自分も強くなろうと決心する。

そんなの差別だ!と言われる筋合いもない。
贅沢しているわけではない。
自分と身近な人々の生活で精一杯だ。

デジタル文字放送に切り替えても
大したニュースはない。
日々人々を黙々と文字で煽ってばかりの
ツイッター(現:X)と異なり、更新は少ない。

それとも、そもそもニュースなんて
少ないのかもしれない。

何か事件・事故が発生した際、
個々がスマホでパソコンで、
テレビ局より早く・速く、
ネットで公開してしまう。

アナウンサーの感情や気持ちも
報道には不要だ。

「この戦争に関してはこう思います」
という発言を視聴者は望んでいるだろうか。
受信料を払っても聞きたいことか。

北陸で起こった災害の報道でも、
現場の人々の思いを理解しようと
していると思えない。
仕事が終われば、ぬくぬくと暖かい
ビジネス?ホテルに戻り、
難なく食事に向かう姿を想像できる。

言い間違いではないが、
ある女性アナウンサー?が
一般の方々に向かって、
「それ見せてもらっていいですか」
と話しかけていた。
この言い回しは最近よく聞くが、
「お前それちょっと見せろ」
を丁寧に表現したに過ぎない。

相手がスンナリ、じゃあお見せしよう、
という気になるのは、
「それ見せていただけますか」
という表現ではなかったか。
うわー!テレビの人だ!すごい!と
土下座する勢いでなんでも従う人々は
今も存在するのだろうか。

別件だが、NHKの中の人々は
制服を着た人々が嫌いだ、
と自分は感じている。
陰謀論とは異なる。

制服を着ていない人々が起こした
同様の事件は、無数にある。
日々、逮捕された人々も多い。

単に報道されないだけだ。
報道されないから、前科を隠せる

(=うまく隠したと勘違いする)
人々は、妙な自信をつけて
悪事を繰り返す。


3. これならちょっとはガマンできそう?


とにかく、個人的なグチは尽きない。
なんでこんなつらい思いをして
見る必要があるのか、全く納得いかない。
視聴者は心が広いのか、自分が狭いのか。

「とにかく受信料を払え!国民の義務だから!
払わなかったら訴えるぞ!」

というなら、せめて見る内容を選ばせてほしい。
見たくないものまで無理やり見せられるのは
暴力に等しい。

例えば炒飯を食べたくなって
中華料理屋に行って注文したものの、
出てきたのがコロッケ定食だったら?

ちょっと黒焦げだけどコロッケは好きだから
仕方ない、と食べる方は心が広い。

そのまま呆れて店を出ればいいのだが、
食券を買った後だ。不満を言ったところで
「食えねえってのか!」
と胸元を掴まれて座らされる。

見たい番組が見られない、
見たくない番組を無理やり見せられる、
とはそういうことだ。

自分に合わない、と言ったところで、
「これが今の流行りだ」
「他の人はみんな美味しいと言っている」
と一方的に決めつけられる。

「見る」しか選択肢がないのなら、
NHKには、せめて、内容ごとに
チャンネルを分けてくれたら
こんなに嬉しいことはない。
いわゆるスクランブル放送だ。
かなり個人的な嗜好が入っているが
こんな感じである。

1. 全国のニュース(文字放送)
2. 列島ニュース、さわやか自然百景、小さな旅
3. 海外のニュース
4. エンタメその1(ドラマ、舞台他芸能人関係)
5. エンタメその2(映画、アニメ、音楽、紅白)
6. スポーツ
7. Eテレ、魔改造の夜

※4と5の区分けは大雑把

もしNHKがこういうチャンネルに分かれていて、
選ぶチャンネルの数に応じて料金が決まっていたら、
全く問題なく支払う。
ちなみに自分は1と2と7を選択して満足する。

他のチャンネルは砂嵐(←今もあるのかは知らない)
または「ご覧いただけません」
の文字が中央にあって一向に支障ない。
深夜に番組は終わってよい。
深夜0時に国旗が風に舞う、例のアレである。
災害時には「今起きた」という雰囲気の方が
わかっていることを報道してくれれば十分である。

逆に、その他の番組は24時間放送すればいいし
見たい人は見ればよい。
ただし、これが最高!と他人に押し付けるのは
うんざりなので、自分達で楽しんでほしい。

また、ニュースのチャンネルは
(得意の)AI音声プラス字幕だったら
たまに妙な発音はあるものの
澱みなく文章が流れる。
もし何か間違いがあったら
「ここ訂正してお詫びします」
と文章を速攻で載せればいいのだ。
誰も頭を下げる必要はない。

見たいのはニュースショーではなくニュースである。
事実に絞った報道である。感想は不要だ。
定時に流れる5分ほどのニュースでは、
それが実現できている。
つまり、画面上はひとりで十分運営できている。
朝のニュースはゾロゾロ人ばかり目立つ。
人が多いから質が高いわけでもない、
というのは毎朝実証されている。


4. アンテナを外せば全ては解決する


とにかく今は受信料を払っているから
苦しみながら見ているだけで、
周囲にテレビを見る人がいなくなった時には
躊躇なく、アンテナを外すだろう。

友達が、知人が、この芸能人/アイドルが好きだから、
と影響された時期はもう過ぎた。

どうか、せめて、番組(人、内容)を選ぶ権利を
庶民に与えてほしい。

しかし、どれだけグチッたところで、
放送局の方針は変わらなくても、
最後の手段はキチンと残されている。
電気店に連絡して、テレビのアンテナを外す
のである。全ては解決する。
災害が増える昨今では、
アンテナはない方がむしろ安心である。

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