6月18日(火)アキバモーターショーcafeトークライブ

6月18日(火)、秋葉原UDX4F UDXオープンカレッジで

「ル・マン直前企画!
現地直送情報&林義正トーク
アキバモーターショー cafeトークライブ6月」


が開催されました。
平日にも関わらず、たくさんのお客さまにお越しいただき、
おおいに盛り上がりました。

まず、元オートスポーツ 編集長 高橋 浩司 氏による
ル・マン直前 現地情報や、各チームのパワーユニットについて、
パワーポイントでわかりやすくご紹介いただきました。


高橋 氏は、現在、株式会社 サンズにて、
F1速報他モータースポーツ誌の
統括をされています。

ル・マン現地では、ウィーク中はオートスポーツ編集部の
方々が取材中で、貴重で新鮮な情報を
お伝えいただきました。
18日当時、車検がすでに始まっており、日本人選手の撮りたての画像で
現地の雰囲気を知ることができました。

余談ですが、
WEC World Endurance race Championship:
世界耐久選手権
の略語のWECについては、
海外の方は「ウェック」(発音記号で[wek])と
発音されているということですが、
今年のル・マン24時間のビデオやストリーミングを
見た限りでは、アルファベットで発音されている方もいました。

初めてウェックと聞かれた方は、
「WEC 世界耐久選手権のことを指している」
となんとなく思い出してください。


この、もはや当たり前になっているハイブリッドマシンですが、
初代プリウスが発売された翌年の1998年には、
予備予選を通過できなかった初のハイブリッドカー、
パノスQ9 PanozQ9 が存在しました。

このチームのオーナー、ドン・パノス Don Panoz 氏は、
興味本位で、ハイブリッドマシンでル・マンに参戦したと
解釈されがちですが、ウィキペディアによると、
この翌年の1999年、アメリカン・ル・マン・シリーズを創設し、
北米のモータースポーツにおおいに貢献された方です。


つづいて、
元・日産自動車エンジニア、元・東海大学工学部教授の
林 義正 先生が、6月14日(金)発売の
「ル・マン24時間 -闘いの真実-」について、
ところどころでご紹介されながら、

「学生とともに闘ったル・マン、
そして排気回生ハイブリッドによる次なる挑戦」

という題目で講義を進めていただきました。


林 義正 先生が、学生の課題突破能力が
とても低いことに危険を感じ始めたのが、1970年代。

これではいけないと、真のものづくり教育を目指して
東海大学に移ったのがそもそもの人生の失敗であった… 
とお話を始めると、会場のみなさまは大笑いされて、
雰囲気が少し和らいだようでした。

「真のものづくりというのは、製品に対して責任がある。
そういうことを学生にやらせたい。
1円でも10円でももらったらプロである。
学生にはプロになってもらいたい。
ただしミスは許されない。」

ミスというと、たとえば、欠陥車。
欠陥とは組織の隙間に出てくるもので、
欠陥車を出してしまうということは、
社会的責任が必ずどこかで欠損しているということ。
日産にいるときに、少なくとも自分が関与しているところで
絶対にミスはしていなかったつもりだ、

といった、厳しいご意見もおうかがいできました。


「レーシングエンジンというのは、
ものすごく熱効率がいいのです」



講義をされながら、林 先生は、
会場の方々に、回覧するようにと、
学生さんたちが作成した図面を複数、
渡されました。

図面というと、
「ル・マン24時間 -闘いの真実-」
の製作段階でも、林 先生がお持ちの図面を
撮影、スキャン、編集しました。

自分が会社員の頃、CADで図面を描くことは
できませんでしたが、巨大な図面を、
これまた巨大な機械で、コピーしたり、
折り畳んだことがあります。

巨大な用紙をスルスルと吸い込んで、
縮小して出力したり、
A4サイズに一瞬にして折り畳む便利な機械です。

だから、同様の機械が、
大学にもあると思い込んでおりました。
ところが、林 先生や学生さんたちは、
すべて手作業でおこなっていたらしい。
とにかく紙は大きいので、まっすぐたたむだけでも
かなりの技術を要します。


また、今回のトークライブには、
ル・マン・プロジェクトの卒業生の方々が
ふたりも来てくださって、
貴重なお話をおうかがいすることができました。


設計されたベルハウジングに関しては、
(学生さんが設計されたことがすでに驚きなのですが)
当時、ありえないと言われた、
板金(ばんきん)でできています。
この部品は、マグネシウムやチタンでできているのが普通です。

しかし、どうしても金銭や時間の問題で間に合わなくて、
いろいろ模索しているうちに板金にたどり着いた。
ほとんど仲間と会うこともなく2ヵ月ほどかかって、
たいへんな苦労をして作ったということです。

潤沢なお金があれば、
こういう苦労をする必要はないのですが、

「これがひとつの教育なのです」

と林 先生はおっしゃいました。

このベルハウジングでル・マンに参戦し、
アジアン・ル・マンも走り抜いて、大きなトラブルも
起こしていません。


そしてもうひとりの学生さんは、2011年の珠海サーキットでの
タイヤホイール破損について、お話をしてくださいました。

6時間の耐久レースの終了間際、残り1時間10分で、
左後輪ホイールのハブの部分が、走行中に、
なんらかの原因で脱落、ブレーキホースが破損した際、
メカニック、エンジニア全員が協力して修理し、
レースに無事復帰できたとき、
隣のOAKレーシングのメカニックさんたちから、

「Good job!(よくやった)」

と言われてうれしい思いをされたそうです。


このフランスの名門、OAKレーシングさんには、
他にもいろいろアドバイスをいただきました。

自分でも、本の製作を通じて、
珠海サーキットでのいろいろな出来事を
思い出すのですが、とくに印象的だったのは、
こういった参戦チームどうしの、
不思議な連帯感です。

おそらく、
同じ苦しく長い時間を乗り越える、
という思いがそうさせるのだと
思います。

だから、ル・マン・シリーズは、
「ピット作業をビデオカメラで隠し撮りして、
主催者に提出してペナルティが下った」
というレースのカテゴリとは、
根本的に異なるのです。


トークライブ終了後は、
「ル・マン24時間 -闘いの真実-」
のサイン会です。


たくさんの方にお待ちいただきました。
茨城からお越しいただいた方も
いらっしゃいました。
遠路わざわざお越しくださいまして、
ほんとうにありがとうございました。


終了後の懇親会では、林 先生は乾杯の音頭をとられました。
ちなみに林 先生は、お酒は飲まれません。

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