2月26日

毎年この日になると、慰霊行事や関連する話題が
メディアに流れてきます。
2月12日付のジモトのタウンニュースでは、
興味深い内容が報道されていました。
河野大尉の遺書を公開:80年前の二・二六事件で光風荘を襲撃


貴重な発見、と気になっていたらきのう、NHKで報道されていました。
二・二六事件 将校の遺書発見

(二番煎じ的ですがそこは置いておいて)
遺書自体は事件が発生した旅館に展示されるそうです。
驚いたのは、湯河原町公式サイト
「観光」→「遊ぶ・体験」→「名所・旧跡」に
この旅館「光風荘(こうふうそう)」が詳細とともに
掲載されていることです。
関係した方々のお名前、肩書き、当時の年齢など、
なかなか生々しい内容です。
2・26事件と湯河原

ただ、こちらの内容で気になったのは、牧野伯爵が
「リベラルな考え方」
と記載されていますが、自分が読んだ
「吉田 茂 -尊王の政治家-」(原 彬久 氏著 2005年)
では、吉田 氏に大きな影響を与えた人々のひとりである
岳父(奥様の父)である牧野伯爵はそういう方ではなかった気がします。

そして、この湯河原の公式サイトをごらんになった方や
そうでない方でも多くは、
「だから◯ヨクは…」
という先入観を持たれているかもしれませんが、
少し立ち止まって読んでいただきたい文書があります。

「陸軍が統制派を中心に国家社会主義から更に
科学的社会主義ともいうべき共産主義へと向かって
『親ソ連』に染色されているという説は、
当時根強く流伝(るでん)していた」
(上記 同著)

また、吉田 茂 氏とともに憲兵隊に連行および逮捕された
殖田 俊吉 氏が戦後、文芸春秋に寄稿した
「日本バドリオ事件顛末」には、下記の記載があります。

「陸軍には予(かね)てから政治を
自分の手にしたいという考えが潜んでいた」
「ナチスにも近いが、より多くソヴェット(ソビエト)に
近い考えを持って居た」
「三月事件(昭和6年:1931年の
軍部のクーデター未遂事件)前後から
陸軍は左翼と非常に密接な関係を持って居った」

この「日本バドリオ事件顛末」、全文をブログに
掲載してくださった方がいるのでご紹介させていただきます。
転記されるのはかなり時間がかかったと思います。
ちょっと長いですが、じっくり読んでいただいて、
過去の歴史を理解し、先人の方々の思いを受け止めて
いただければ幸いです。

「日出づる処」新聞
日本バドリオ事件顛末(第一回)
日本バドリオ事件顛末(第二回)
日本バドリオ事件顛末(第三回)
日本バドリオ事件顛末(第四回)
日本バドリオ事件顛末(第五回)
日本バドリオ事件顛末(第六回)
日本バドリオ事件顛末(第七回)
日本バドリオ事件顛末(第八回)
日本バドリオ事件顛末(第九回)
日本バドリオ事件顛末(第十回)
日本バドリオ事件顛末(第十一回)

「現に戦争中にも軍部は大分、左翼化していた。
満州国の如(ごと)きは右翼の連中のやったことではなくて、
左翼の思想で作られたのである」
(「大磯随想」吉田 茂 氏著 1962年)

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