自分の蔵書ではありませんが、パラパラ開いていたら
「飛行艇」の文字が目に入ったのでその部分だけ読んでみました。
当時のミリオンセラーだそうで、ご存じの方も
多いと存じます。
弟さんが倒れたときにヨットレースで小笠原にいた筆者は、
故 中川一郎 氏の取り計らいで防衛庁(現:防衛省)の
飛行艇で東京に帰れることになりました。
結局飛行艇は厚木(じっさいは綾瀬ですが)の飛行場へ着陸。
滑走路の脇には多くの隊員が出迎えていたそうです。
翌々日、飛行艇を私用に使った件はある新聞に報道されました。
着陸した日の夕方、その新聞社に通報と抗議の電話があったことが
その理由だそうです。
その新聞社の方のお話では
「(当時の)下士官にはある宗教団体の会員が多いんだよね」
ということでした。それが結論なのか正論なのかは
自分にはわかりません。
おそらく今なら大騒ぎの度合いも異なっていたかもしれない
(すくなくとも小さな騒ぎではない)
という気はいたします。
とにかくあの頃は、ぜいたくで華やかな(ように見えた)時代だったことを
フト思い出すのでした。
「飛行艇」の文字が目に入ったのでその部分だけ読んでみました。
当時のミリオンセラーだそうで、ご存じの方も
多いと存じます。
弟さんが倒れたときにヨットレースで小笠原にいた筆者は、
故 中川一郎 氏の取り計らいで防衛庁(現:防衛省)の
飛行艇で東京に帰れることになりました。
結局飛行艇は厚木(じっさいは綾瀬ですが)の飛行場へ着陸。
滑走路の脇には多くの隊員が出迎えていたそうです。
翌々日、飛行艇を私用に使った件はある新聞に報道されました。
着陸した日の夕方、その新聞社に通報と抗議の電話があったことが
その理由だそうです。
その新聞社の方のお話では
「(当時の)下士官にはある宗教団体の会員が多いんだよね」
ということでした。それが結論なのか正論なのかは
自分にはわかりません。
おそらく今なら大騒ぎの度合いも異なっていたかもしれない
(すくなくとも小さな騒ぎではない)
という気はいたします。
とにかくあの頃は、ぜいたくで華やかな(ように見えた)時代だったことを
フト思い出すのでした。
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