気づいたら過ぎているかもしれないので忘れないうちに。
11月17日は、この方のお誕生日です。
1906年(明治39年)のお生まれなので生誕110年です。
この写真を撮って、来年1月で10年です。
自分はとくにこの方の信者でも盲信しているわけでもありませんでしたが
自分の進む道を模索して悩んでいる頃で、行けばなにかあるかもしれないと
興味/遊び半分で行きました。
年に数回は関係会社や学校の方々がバスでいらっしゃるということですが、
自分が訪れたときは人もいなくて、構内を回るバスも自分を含めて2-3名
だったように覚えております。
この10年の間には、すごいと思っていたことがじつはたいしたことではなく
多くは虚飾やごまかしで彩られた世界に過ぎなかったりなど、
とにかくいろいろ経験や理解しました。
いつもうしろめたい、なにかが違う、という気持ちが常にあれば
気持ちが楽しいはずもなく、それにともなうご縁も
良い質のものはありませんでした。
しかしものごとには(とくに苦しいことには)必ず「区切り」があります。
今後もそんな変化を楽しみながら受け入れられるように、
強くありたいと考えます。
11月17日は、この方のお誕生日です。
1906年(明治39年)のお生まれなので生誕110年です。
この写真を撮って、来年1月で10年です。
自分はとくにこの方の信者でも盲信しているわけでもありませんでしたが
自分の進む道を模索して悩んでいる頃で、行けばなにかあるかもしれないと
興味/遊び半分で行きました。
年に数回は関係会社や学校の方々がバスでいらっしゃるということですが、
自分が訪れたときは人もいなくて、構内を回るバスも自分を含めて2-3名
だったように覚えております。
この10年の間には、すごいと思っていたことがじつはたいしたことではなく
多くは虚飾やごまかしで彩られた世界に過ぎなかったりなど、
とにかくいろいろ経験や理解しました。
いつもうしろめたい、なにかが違う、という気持ちが常にあれば
気持ちが楽しいはずもなく、それにともなうご縁も
良い質のものはありませんでした。
しかしものごとには(とくに苦しいことには)必ず「区切り」があります。
今後もそんな変化を楽しみながら受け入れられるように、
強くありたいと考えます。
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