本能としての武士道

先日、ぐうぜん出会って読んだ本に関して、
後からじわじわ沸き上がってきた思いを軽く記述しておきます。






自分は「武士道」から連想される「道」とつくもの、
華道、茶道、剣道など、経験はあっても
ひとつとして満足に完徹できなかったので関係ない、
と思っていました。この本を読むまでは。

そしてこの本を読んだあと、それも数日経ってからふと、
武士道とは、この国に生まれて育った人たちが、
親や親族、祖父母から教えられたこと以外に、
無意識に繋いできた「本能」ではないかという気がしてきました。

たとえば、なにかうしろめたい、悪いことをしてしまいそうに
なったとき、ご先祖さまが/お天道さまが見ているから自制し、
「恥」として立派に避けてきました。


また、阿川 尚之氏の著作「海の友情」では、
戦争でご主人を亡くした女性がホテルの給仕係として、
夫の敵であったはずの男性に、半島での戦いの疲れを
いやすために、花瓶に花を生け、熱い茶を差し出す、
という記述があります。

おそらく彼女は一瞬でもそんなことは意識してませんが、
うわ!これが武士道か、と思わずうなった光景でした。


他の文化から見たらストイックで異常なのでしょうが、
本能ですから、残念ながら逃れたり、
または逆に侵食されたり覆されることができません。
だから、ふだんはとくに気にしていなくても、
否定されたりバカにされたりすると、
怒りや理不尽な思いがしてしまう。

このまま自然と受け入れるか。
こんなものは変だ、と投げ捨てて新たに生き方を模索するか。
それは個々の自由です。

先日は某有名出版社のインターネット上の記事で、
いきなり武士道=右翼、という文面を見ました。
こういういきなりな決めつけには困惑です。

しかしそこはあおられず、恥を重んじ、軽く流す。
そういうそのあたりも悲しくも「武士道」なのだろうなという
気がいたします。

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