聞こえなかった祭囃子

先日は歩いて買い物中、久しく聞いていなかった祭囃子が
聞こえてきたので、フラフラとそちらへ歩いていきました。

すると、存在すら知らなかった神社の前へ。


知らなかった、ではすまされないような、
偉大な鳥居、樹齢数百年の木々。
そしてやはり、多くの神社で感じるような、
全てを包み込んでくれるおおらかさがありました。

あとで調べると、西田原八幡神社(はちまんじんじゃ)
というそうです。西田原、というのは
同じ八幡神社が市内に複数あるので
地名で区別していると思われます。

祭囃子はこの鳥居の奥から響いてきました。
境内で人々が元気よく太鼓を叩いているのが
見えました。

自分が意識するよりずっと以前から、
練習の場として当たり前にそこにあるのでしょう。


なぜ、ひさびさ祭囃子、なのか。
9月末に秦野でもっとも大きな(と言われる)お祭りでは、
この祭囃子が聞こえなかったからです。

そして前々回くらいに見に行った際には、軽音楽的な内容が
ステージで演奏されているのを見ました。
万人が楽しめたかはわかりません。

太鼓を叩くこどもたちを載せて走り回る車が騒音なら、
ステージで見せるなどせめてお祭りの要素として
あればよかった気もいたします。

祭囃子はお祭りの合図です。
自分のように聞こえるほうへ向かって
ワクワクしながら行くのが通例だと自分は考えていました。

これは想像ですが、祭囃子が「うるさい」と苦情を
受けて、自粛したのかもしれません。

地元のお祭りも、近隣から「うるさい」
と言われて場所を移動した経緯があります。

時代遅れ、という指摘もごもっともですが、
それが先人から若い方々へ伝えられてきた文化であり、
いろいろな世代が交流する貴重な場であるなら、
スンナリ受け入れるフトコロの広さも必要でしょう。


いまどきの官公庁も、
多種多様な意見を取り入れて吟味するのはとても苦労のある
お仕事でしょうし、
財政難を補うために利益になる(お客さんを呼べる)
イベントにしたい気持ちもわかります。
自分も古い悪い習慣は一掃するべきという考えです。

しかし場合によっては、郷に入っては郷に従う態度が
必要な場合もあるのです。

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