YS-11と八丈島

故人の写真を整理していたら、1978年に八丈島へ
旅行時に撮った写真が出てきました。

最初に見たときはまったく興味もなく気づかなかったのですが、
背後の飛行機はYS-11です。


こちらは八丈島で撮った写真です。


いまどき検索が難しく、わずかな情報を組み合わせてやっと、
YS-11と同じ八丈島で撮影されたと判明しました(汗)
場所は八丈島歴史民俗資料館の庭園です。
Googleの地図には掲載されていません。

昭和天皇の行幸記念碑に関する情報は、左下の掲示板に記載されています。
「昭和4(1929)年5月29日の行幸記念に昭和17(1942)年に建立」とあります。
前日に皇居をご出発して、大島→八丈島→紀州南岸→大阪へ。
お召し艦の軍艦長門で八丈島を行幸されました。
お姿を想像するだけでも壮大で圧倒されませんか。

さらにネットを漂っていたら、記念碑の文字の左横には
「海軍大将男爵鈴木貫太郎」と彫られていることがわかりました。

こちらはネットで閲覧可能な、「平成26年度 東京都八丈支庁事業概要」から、
年表の部分(抜粋)です。


八丈島に行かれる機会があればぜひお立寄りください。
ちなみに記念碑左下の掲示板は、今は見当たらないようです。

ところで、いまなぜYS-11と気づいたかというと、ほぼ1年前に
出会った本のおかげです。
「最後の国産旅客機 YS-11の悲劇」前間孝則 氏 著。


飛行機に詳しい方は既知の内容ばかりと存じますが、
理工系でない自分でもわかりやすい文章で理解できました。

この本に出会わなければ、単に飛行機の前で撮った写真、と
平然と通り過ぎていったでしょう。
行幸に関しても、「昭和天皇行幸」という本を読まなければ
誰の記念碑か理解できませんでした。

故人の写真を眺めていると、しんみりとした状況になりがちですが、
もしかしたら、アレ?という貴重なものが背景に隠れているかもしれません。
そしてそれを見つける「好奇心」こそ「生きる」につながっていくチカラです。
さらにその好奇心がいきなり沸き上がる瞬間は、
日々「なにそれ?」と、偶然でも目の前に来たものを
すぐに受け入れる余裕があればこそです。
ただしそれは、切り捨てるべきものを要領よく排除しないと
うまく現れないし、目の前に来ても気づきません(実感)

先人が与えてくれた知識というのは
後世の人々の支えとなり、背中を押してくれる存在です。
たまには見方を変えて写真を眺めることをお勧めします。

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