「誰かに話したくなる社名・ロゴマークの秘密」

先日、自分のお絵描きの勉強にと読んだ本がこちらです。
「誰かに話したくなる社名・ロゴマークの秘密」
本間之英 氏著。2005年発行。


これが多くの企業の歴史を短いながらもいっきに振り返ることができる、
貴重な内容となっています。
創業者も、17歳で上京、20歳で露店を開く、
20代で百両貯めた、など、苦労と探究心の連続です。
知らず知らず、勇気と元気をいただいていることに気づきます。
印象に残った各社をご紹介します。

野菜やトマトジュースといえばカゴメ。


23歳で陸軍を除隊した蟹江一太郎氏は、上司の西山中尉から
「これからの農家は米だけでなく野菜も栽培すべきだ。
特に西洋化が進むだろうから西洋野菜を作ってはどうか」
と勧められて、郷里の愛知で西洋野菜の栽培を開始しました。

先見の明ある西山中尉との出会いと感謝の記念に、
(さらに陸軍のイメージも含めて)◯の中に五芒星を描いたマークは、
大正6(1917)年に申請したときに、星は軍のシンボルだから
と却下されてしまいます。
そこで、三角形を組み合わせたマークで許可をいただき、
それがトマトを入れる籠の目に似ているから
カゴメ印→カゴメになりました。


そして、ジャムと言えば明治屋(めいぢや)。


食料品商が一段低く見られていた時代、
「職業に貴賤などない。食料品の商業を高貴なものにしてみせる」
と明治屋(めいぢや)を創業した磯野 計(いその はかる)氏。
その先駆者精神からいち早く元号を社名に取り入れました。
三角のマークは、磯野家の家紋、子持亀甲に三つ鱗がベースです。


そして醤油でおなじみのヤマサ。


マーク右上の「上」は、江戸末期に徳川幕府から
「最上醤油」七銘柄に指定された印です。
創業者、濱口儀兵衛(はまぐち ぎへえ)氏の「キ」を配した
「ヤマキ」の予定が、紀伊徳川家の船印と同じなので恐れ多いと
「キ」を横にしたら「サ」に似ていたからヤマサへ、そしてそれが社名へ。
「サ」はじつは「キ」だったという、目からウロコな実話でした。


缶コーヒーといえばポッカですが、その歴史は
レモン飲料から始まりました。


昭和30年代初頭、ニッカバーの経営を任されていた
谷田利景(たにだ としかげ)氏は、レモン果汁飲料を開発し、
ニッカレモン株式会社を設立しました。
そのレモン飲料は他のバーにも受け入れられましたが、
商談の際にいつまでも「ニッカ」がついていてはマズイと
社内から声が上がるようになりました。

しかし谷田氏としてはニッカウヰスキーのイメージを消すのも
抵抗がありました。ちょうどゴルフを始めていた谷田氏は、
ニッカーボッカーのスタイルを知ります。
そこで、ニッカーボッカー→ボッカーはどうかと思いつきます。
ただし語感が悪いから「ポッカ」になりました。


本のタイトルにあるとおり、ついペラペラと話したくなって
しまいましたが、
キチンとした歴史と伝統がある企業には、
揺るぎない信用と自信があります(のハズです)。

その商品の価格には「安心」も含まれています。
それ相当の価格で購入すれば、万一なにかあったとしても
じゅうぶんな対応をしてくださいます。

安い粗悪品でなにか不具合があっても、
多くの場合はあきらめるしかないのです。

今後は、「見栄」ではなく、信用と安心で、
歴史と伝統あるブランドを、自分で選びたいと感じました。

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