「二拝 二拍手 一拝」をイチオシする理由

 自分が自宅の神棚の前で

「二拝 二拍手 一拝」

を始めたのは、

身内が亡くなった頃ではなかったか。


だからもう5年以上は経っているが、

たかが5年であって幼少時からではない。

それでも習慣となり、毎朝、

パンパン!と叩いて頭を下げ、

「今日もよろしくお願いします」

で始まる。














半分はふざけた状態で、

90度に曲げるなど体操っぽく、

さらに二回も拍手したら意外と響くので、

特に夏は近所に聞こえないように

音を立てずにやるなど、

全くの個人ルールだ。


それがアレ?という感じで、

生活する上で何かが変わってきた。

自分でもまだはっきりと

理解できない何か。


日々、いろいろな方と出会う。

当たり前だが、価値観や考え方は全く異なる。

仲良く話せる方々もいれば、

逆に激しく相対する人々もいる。


特に近所では、然るべきところへ相談しようかと

久々深く思い悩んでしまったくらい、

苦手な方がいた。

引っ越したら全ては解決するのでは?

とまで思い詰めた。


それが、微妙に変わってきたのは、

その人がした作業に対して、

「たすかりました、

ありがとうございました」

と自分が頭を下げた時ではなかったか。


自分でも、


アレ? 自分は何をやっているのか?


と混乱した。驚いた。

それくらい、

自然に頭を下げていた。


その後、その人は、自分にトゲトゲしく

怒りをぶつけてくることはなくなった。

全くウソのような変化だった。


その後も他の人に対して、

90度に頭を下げてお礼をしたり

お詫びをしていたら、

少しづつ、いろいろなことが変化した。

見えるもので言えば

いただき物が増えた気がする。


とにかく頭を下げて

「ありがとう」

「ごめんなさい」

を言えばほとんどは丸く収まるのだ、

と思い知った。


こういう一連の行為は、

神道が関わってくるのだろうが、

残念ながら、スピリチュアルや

宗教とは関係ない。


アホか! やってられるか!

というのが多くの人の正直な思いだろう。


悪いことをしたわけではないのに!

自分は学歴も経歴も資格もあるのに!

軽々しく他人に頭を下げられない!


という気持ちもよくわかるが、

頭を下げてほとんどのことが

丸くおさまるなら、お得な行為だ。


自分なりの結論として、

おそらく、毎朝

「二拝 二拍手 一拝」

をしていると、頭を下げることに

慣れてくる。


そして頭を下げると、

誠意を汲み取ってくれて、相手の気持ちが

良い方へ向かうのだ。たぶん。


ただ、慇懃無礼はすぐにバレる。

人は無意識に相手の「厚さ」すなわち

その人が真剣か、薄っぺらいかを、

独自の定規でキッチリ測っている。

自分がこの人に時間やお金を

費やしていいかを決めている。


例えば、スマホでネットで検索して、

多くの知識を得た気持ちになっていると

足元をすくわれる。

「自分はどうなんですか」

「あなたは何ができますか」

と言われた時に怖気づいてしまう。

知識よりむしろ

経験値を上げることをお勧めする。


それにしても、

「二拝 二拍手 一拝」

を通じて、争い事や揉め事は

ほとんど丸く収まるよ、

と教えてくれた先人の知恵には

心底頭が下がる。


SNSや動画サイト等で

この人何者だろう、と敬遠するくらい

高飛車な言葉を投げつけてくる人々は

実生活では頭を下げたことがないのだろうが、

それで少し(だいぶ)

損をしているのではないか、と

気の毒に思うことがある。

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